津波シェルター
代表者 田口政行は、
1997年5月1日、自身の海難事故体験、
2004年10月21日、バスの天井の上に逃げた37人が助かった舞鶴市の洪水被害、
2004年12月26日、スマトラ島沖地震津波、
2005年8月30日、アメリカ・ニューオルリンズの台風などから、水難から助かる条件は「水面より上に生存して、助かるまでの体力があった」場合である。と気づき、その条件を満たす施設の研究・開発を始めた。
その気づきは、上記のように、日常時から、身近にあって、非常時でも、役立つフェーズフリーな施設だ、と考えた。




その成果は、
2012年10月さざんか保育園、
2013年5月浜松市・セントラル病院、
2013年7月掛川市・シャトル工業、
2014年下田市・静岡銀行に実現した。
しかし、1カ所25~50名の収容能力で、広大な地域に、甚大な被害と700万人に及ぶ被災者が想定される、南海トラフ地震や首都直下地震の津波対策施設としての限界と、普及の難しさを悟り研究テーマを方向転換し、「さっさと逃げる人を増やす、防災意識の日常化」というテーマに転換した。